久々の更新

 前回の更新から7ヶ月が経つ。ツイッターもブログも、ぼくは嫌になるとすぐ削除するが、このブログだけは残っている。見る人がほとんどいないだろうことが関係している。人の目を気にしなくていい。というより、読まれる可能性は踏まえるが、直接的な反応が来る可能性がない(と思っている)ことが、残っている理由。
 キーボードに打ち込んで書くことを体が拒絶していた。手書きを体が求めていた。今は、打ち込んで書くことにも関心がある。手書きで書くことが、地に根付くことだとすれば、打ち込んで書くことは、飛ぶことだ。あるいは、一方は根付きやすく、一方は飛びやすい。筆触の有無が。手書きが身体の拡張だとすれば、打ち込みは空間の拡大である。石川九楊のように、手書きだけを極めてゆくということが有り得るが、彼が書家だからであり、小説は、もっと絶望的に自由である。吉本隆明がいて、東浩紀がいる。地に身体性があるかないかが、人が実在感を持って生活することに決定的な差があったとしても。
 これからはここでも書くつもりです。