読書

昨日、寝る前に、ピエール・クロソウスキーの「ニーチェと悪循環」の序文を読んだ。うとうとしていて、ただ言葉の一つ一つを結びつかないまま辿っていくようにしか読めていなかった。ニーチェの明晰さと昏迷、錯乱ということしか印象に残っていない。うとうとしていると、夢(眠り)とこっち側を浮き沈みしている感じ。沈むとき、これは夢だというよりも、こっち側の延長か、ほとんどこっち側と同じだと思っているが、浮くとき、ああこれは夢だと思っている。沈むとき、こっち側で考えていることが意味不明に変容していることに気づかないまま、ふむふむ、なるほどなるほどとなぜか理解が進んでいる。
眠いとき、目をつむると、沈んでゆく。沈みながら、考えは続いている。目をつむったまま書いたものを後で読んでみると、考えそのものよりも、考えるときの、まだ言葉に結びついていない感じがする。考えを読むよりも、その考えとは別の、考えようとしている感じを読んだ方が、考える。
「考える」?
その前にカフカの「城」を読んだのだけど、三十分くらい読んだと思って前にしおりを挟んだところを確認したらまだ二ページしか読んでなかった。使者バルバナスの無邪気さ。
今日の11時頃に少し遠くの町に行くので、そこで写真を撮ると思う。今は9時45分。これから1時間くらいの間に何をするか、まだ決まっていない。