道をぐんぐん歩く

 コーヒーを飲むと目がさめる以上に落ち着かなくなる。つまり、ただじっとしていることがたまらなくなり、家にいるなら部屋のなかを行ったり来たりして、外にいたなら道をぐんぐん歩き続ける。一歩ずつ力強く足音がするくらいだ。このときいつも思い浮かぶのは、ロシアの作家ドストエフスキーが書いた「カラマーゾフの兄弟」の中に、その兄弟の中で、愛読者の中で投票をしたらきっと一番人気がないかもしれない、だからといって魅力的ではある長男のフヨードル・・・(名前が出てこない)(ミーチャという愛称だったことは思い出せる)ドミートリーだ。小島信夫は書きながら思い出せないとき「今は思い出せないが」というふうに書くが、これはパソコンなので一瞬で調べることができるので、知っているみたいにできる。ドミートリーみたいに力強く歩く。ぐんぐん歩いて行くと右から左へ左から右へ車が通る大通りがある。ここは今から十五年ほど前までは農道のような道だった。その道の向こうには川がある。当時、河川敷には夏になると蛍がたくさんいて、すぐそばに大通りができると蛍がいなくなってしまうので、小さな反対運動のようなものがあった。この町は無駄なものばかり作った。日に十人通るか通らないかの遊歩道や、ほとんど隣の家の庭の延長となっている空き地のような公園、そして大通りだ。そういえば午後4時くらいに近くの山のふもとのあたりを写真で撮っていたらおばさんに声をかけられて、
 書くのが面倒になってきた。
 蛍なんてどうでもいい。蛍は光るだけです。
 使われない公共施設のことは気に入っている。ほとんど誰も使わないので、僕のものだ。
 これは、コーヒーを飲んでから1時間して打っている。
 大通りのことも気に入っている。過ぎてゆく車を追うように見ると意外と遅く感じ、まっすぐに進む鯉みたいでおもしろい。目をつむって音を追うのも楽しい。パトカーがよく通るので(鯉で例えると錦鯉)どきどきする。その日、信号のないところを渡っていたら「歩道のあるところを渡ってくださーい」と言われた。