彼について、症例

 彼と話しているとき僕は一つの症例を相手にしてるかのようだ。「ズレと一致」がキーワードである。僕が聞く。それを彼はズレているか一致しているか答える。ズレている場合軌道修正し、一致している場合それをもとに次の質問に移る。彼は彼で自覚した症状を言う。僕は原因を見つける・・・。彼には見つけることができない。彼には僕が必要なのだ。
 これはどういうことだろう。僕は何であるか。僕はどうしてそれをする必要があるか。
 彼のような人はめったにいないであろうということから、キャラクタアとして?僕は彼について考え、自分については考えているか?
 ずっと前から、これは義務として課してきた、とも言える。
 おそらくあと数度会ったら、キャラクタアとしての全貌はわかり、あとはそこからどうなってゆくか、またはどうなるということがありうるか、ということに落ち着くだろう。
 なにであれ、自覚していないということはおそろしい。そして自覚する機能が欠落しているということは、ぞっとする。非人間的だ。
 しかし他の人間とは違うからといって非人間とは言えない。それがたった一人であれ一人の人間にそのようなものが見られる場合、人間全体にも多かれ少なかれ、あるいはほとんど気づくことができないレベルでそういうところがあるはずだ。

 彼が補えないところを僕が補う?僕は何であるか。この負担はあまり好ましくない。彼が僕に与えうるものは「症例」だけだからだ。
 だがそれをするのは逃避からでもある。彼に対してどう思うことはない。僕は自分の領域から話さなければならない。あらなければならない。ねばっこい眠気のなか読んだり考えたり話すようではいけない。