後藤明生「マーラーの夜」

 4日間の小旅行が終わった1週間前から、ほとんど本を読んでいない。最終日の帰りの電車で読んでいた遠藤周作の「沈黙」を、途中で読みやめてからだ。
 今、机の上には5冊ある。
「地鳴き、小鳥みたいな」
カフカ・セレクションⅢ 異形/寓意」
「月光/暮坂」
「しんとく問答」
ザ・ロード
ザ・ロード」以外は短編集。僕は昨晩から読み始めてる。まず、「しんとく問答」の中の「マーラーの夜」という25ページほどの短編。朱色の色鉛筆で、文章の下に、気になった、気に入った箇所の範囲を示すように線やカギカッコを引いた。見返さず、今ここで印象的な箇所を思い出して書いてみる。
「僕は最近になって、鉛筆と手帳を持ち歩き、目にした文や耳にした文を抜き書きするようになった」
「二つの線路が交わったその駅は、一つであるが同じ駅名の二つの駅のようで、その駅からその駅へ、僕は上り、あるいは下り、あるいはポスターがぺたぺた貼ってある薄暗い通路を歩いてゆく」
「教会と地蔵という組み合わせがおもしろい」
「僕がいるマンションは7階建てで、僕は6階に住んでいて、夕方の4時ごろ、近所の教会から鐘の音が聞こえる。教会の裏の公園には大阪のディオゲネスが住んでいる。僕は鐘を聞きながら7階に住む大家の家族のことを思い出す。1階は大家が経営している事務所がある。数日前に、近所を歩いていたらこの周辺の建物はどれもこれも似たようなマンションが立ち並んでいた。最上階に大家が住み、一階は八百屋だか肉屋だか雑貨店だか衣服店になっている」
 本を読み返してみると、マーラーのことを思い出さなかったことに気づいた。が、昨日はここで扱われているバーンスタイン指揮のマーラー交響曲第一番第三楽章を二度聞いた。
後藤明生は1999年に亡くなっている。もし、後藤明生にこの「マーラーの夜」について何か言うとしたら、何と言おうか。

「思い出すことは、とてもおもしろいです。何のことであれ、自分から思い出そうとしたことは、そうしようとしたというだけで、思い出した途端大したことではなかったと思ったとしても、おもしろいものです。自分からでなくても、おもしろいことはしょっちゅうです。僕は、あなたの小説は、この「マーラーの夜」が初めてなのですが、この、いくつもの引用を、底の方で、一つの流れ、というか繋がりを作り出し、ただ、この箇所がおもしろい、という引用と、この箇所は、僕の深く見えない流れにつながっている、という引用のあり方には、馴染みがあります。思い出すためには、現実に経験していなければいけません。引用には、何度も思い出させる力があります。引用には、それだけで現実がいくつも必要です。すると、現実にも層のようなものがあらわれます。層、と呼ぶ前のものであってほしいですね。いくつもの、とか、数にならないものであってほしいです。この短編では、マーラーが一直線の縫い糸になっていますね。これ以上言うと、つまらないので、やめますね」

そして次に「カフカ・セレクションⅢ 異形/寓意」の中の「歌姫ヨゼフィーネ、あるいは鼠の族」を読んでいる途中に寝てしまった。今日はここから読み始めようと思う。