眠け

 この眠けは僕とセットのようです。なくなった、今はないように見えても、わかりにくい形で僕とともにあります。あなたたちの誰かにうつっているということがあるかもしれません。すると自分の病気をだれかにうつしたいという欲にまで及びます、僕にその欲はありませんが。エイズにかかったら次々に人にうつしたくなるかもしれない、とある本に書いてあったが、彼がエイズの絶望の深さを感じるとき、その深さにおいて自他の区別がつかず、私は増えつづけるのか。1日前と1週間前と1ヶ月前と1年前と10年前と、うまれる前の私と「絶望」の深さを共有させてみる。山中康裕か、神田橋條治が言っていたらしいことで、マイナス一才、0才、1才、2才、3才、、、99才、100才、と言いながらその歳のことを考えるといい効果がある、とあった。後藤明生の書名など名詞の巧みな羅列に深さはあるのだろうか。
 神田橋條治、と検索していたらおもしろくて数行前でブログを書いていたことをわすれるほどだった。
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 発達障害を疑ったら幼稚園時代に何が楽しかったかを聞く。人間関係やコミュニケーションに関することだったら定型発達、本とかモノだったら発達障害の可能性を考える。

 患者さんと手記でコミュニケーションをすること。手記が治療者と接していて本人は後ろに隠れている。このように、いつも生身の自分がオモテに出ないようにしてやっていける方がいい。それが洞察された上でなされるようになればなおさらよくて『しょせんこの世は幻』的な生き方ができるようになってイイ感じ。

 『論理で動いている』のではなく『論理に基づく判断で動いている』わけで、論理にあなたがいるのではない。『論理で動く人間』という理解では不安定。そうではなく、判断した瞬間にあなたがある。判断は常に感情が伴う。

 情緒的な関係で支えられるのが苦手。知的なものは肉体と密着していないので、それをよすがに生きていくひとは風変わりな人として完成していく。
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これは神田橋條治の講演を聞いた人が書いたメモだから、神田橋條治がこの通りに言ったわけではない。