フリクリ

 久々に書いてみる。
 本の山を整頓した。本はものだ。ぼくは本の読み方がわからない。本はどうやって読むことができるのだろう。
 ゆっくりゆっくり一行ずつ読むんだよ。あわてず、あせらず、読むんだよ。なにかのためになるとか、そんなこと考えずにさ。
 モーツァルトのピアノ協奏曲をずっと聞いている。ほんとにずっと。ある日は一日中流していた。クララ・ハスキルを聞く。だがほんとうに聞いていたのか?
 ぼくは『卑屈』について考える。ぼくは何かにかこわれてしまうのではないか、と恐怖する。『卑屈』は狭まる。そのおおきなもの、それを見てとるそのときにはすでにぼくのものでもある、というかだれのものでもない、だからぼくのものではないのではない。
 かこわれるのではなく、かこいそのものになってゆく。
 ぼくは記憶についてかんがえる。所有について。

 アニメ「フリクリ」を見て体ぜんぶがかかる動悸が早まり遅まり、ぼくは体まるごと態勢が変わっていたのだ。