歩きながら、空間を感じ続けている。

ついさっき撮りに行った。構えてから、1、すばやく撮るか、2、見きわめてから撮るか。

建物(特に四角いもの)を撮るとき、その立体を僕は含んでいる。手を使わずに、思い浮かべるだけでも、線を引いたり、字を書くことができ、その質感を感じている。「考える」という字を鉛筆で書くとき、書いたことによって、「考える」という意味がたしかなものとして思い起こされる。魔法陣みたいに。(つまり書き順は毎回同じなら人それぞれ違ってもいい、か。正式な書き順が百年とか前から続いているのなら、そこには微妙な何かがあるのではないか)

立体を含むとき、空気の塊を飲み込んでいるみたいに感じる。質感とは違う。空間への意識。・・・。

画集で見たゴッホの朝焼けの絵は、初心者が撮りそうな朝日や夕日の遠景の写真とほとんど同じに見えるけど、ゴッホは描いている。初心者は数秒見て、カメラを向けて、1、2秒でシャッターを押す。

歩きながら、空間を感じ続けている。

相手にボールをパスできるのは、自分と相手の間に何もないからでなくて、何もないがあるからだということ。


12時だ。