川へ歩く、ペットボトル

夕方、川へ行く。まだ春なので、この時間帯はほんとうはまだ見上げなければならないところに日があり、行って帰ってもまだ日は落ちていないから、夕方ではないのだけれど、夕方と言ってしまう。4時とは言いたくない。何と言えばいいのかわからない。風がすなぼこりを含んでいて、家に帰るときには肌がかすかにざらついている。風が吹いてなくてしずかなときに川を見たい。風が吹いていると川の表面が流れとは逆に向かっていて、日が出ていれば川の表面の波がひかりを通して水底に網目のひかりを川の流れとは逆にうつしつづける。魚たちはどのように感じているのだろう。川底をしゃがんでのぞいていると落ちそうになり、もし落ちたらと思うと、ポケットの中の携帯とか壊れるかも、と思うが、それを抜きにして、それは空気になってしまって遠くに消えていくとして、川へ落ちることを思うと、次に川の汚れが気になるが、季節は夏だ。大量の雨水が川の汚れもそうでないものもすべてを流し、透き通った水だけが流れている。きもちよさそうだ。暑いし、落ちてもいいかもしれない。それから家へ帰った。今日は肌のざらつきがなかった。今日は道を川が流れた。色とりどりのペットボトルが川に浮いている。なつかしいペットボトルもあった。僕が小学生だったときのQooとか桃の天然水とか。