夏の暑さ、セザンヌ

 夏の暑さ、2016年7月28日、1分前、いつも歩く道を行って、帰ってきたところだ。セザンヌを交響楽と例えるなら、モランディはピアノソナタだ、とちいさなちいさな入江観は言った。(曇り空なのに夕焼けが斜め前の窓から網戸越しに入り込む)ノートパソコンの左の奥の方と右の全体とは光と影の加減が違っている。道端で猫が死んでいた。近くの畑で老人が作業している。記憶が作動する(道を先へ行ったT字路の左角に釜飯屋があり、夕方の開店の準備をしていると猫の親子が来る。その近所は猫が嫌われている。道は嫌な曲がり方をする。母猫が殺されたのだ、あるいは父猫が家族に犠牲した)僕はその方へは行かなかったのだった。セザンヌを交響楽と例えるのは分かりやすすぎてbalanceが崩れてゆく。