ゴドーを待ちながら

 『ゴドーを待ちながら』を昨日の夕方から読んでいる。今、作家のツイッターを見ていた。読みながら居心地がわるい。作家たちも仲良しがたくさんいるんだ。 文学フリマというものがあり、よくわからないが、素人が、書いたものを、作品として売っているのか。お互い読みあって、褒めあっているのか。
 なんのやる気も起きない。『ゴドーを待ちながら』をぐだぐだ読んでる。なにもかもしんどい。集中力。退屈さを忘れる力。
 書くことを、打ってするか、鉛筆でするか。石川九楊が、タイプライターがいかにダメか、『「書くこと」について』という本で書いていた。パラパラ読んだだけだ。また、『ゴドーを待ちながら』をぐだぐだ読むのだ。

 雨が降っているが、歩きに行くか。少ししたら。わからないけど。

 退屈が、どこまでも退屈だ。退屈そのもの。退屈のただ中。といって、退屈に外はない。ずっと退屈。