カフカの『巣造り』を読んでいる。読んでは体調を崩している。いまのぼくにはまとまった量の文章を読むことができない、耐えられるだけのぎりぎりの量の文章を読むことにしている、それでもぼくは昼頃から調子を崩して、昼寝、というより横になって目をつむることで体調を回復してからこうやって文章を綴ることができる。『巣造り』について前回書いたのは、不安の上がり下がりがあること、それが急であること、だが、もう少し読み進めた今、書くことができるのは、やはり不安の上がり下がりはあるのだが、それが、聴覚過敏に及んでいるということ。巣穴のなかで主人公は、かすかな物音が聞こえることを気にする、それが小さな動物によるものだと推定したり、どのあたりにいるのかなど、考えを沈ませるのだが、答えは出ない、いや答えは出るのだがすぐに撤回され、その撤回もまた撤回され、やはり答えが尽きないのだ。どうしてこれほどまでに執拗に分析と答えを繰り返すのだろうと思う。病的である、と書けばたしかに病的で、これほどまでの執拗さを思うと、笑えてくるかもしれない。だが、妄想患者が聞こえてくる音に対して過敏に反応することに似ている。そこに理路整然たる分析が加わる。それが果てしなく続く。いや、作品自体は七十ページほどだが、ぼくが何日もかけて読んでいるせいか、あるいは、不安の上がり下がりの単調さが長さを思わせるのかもしれない。あと十五ページほどで読み終わる。今日か、明日には読み終わっているだろう。この小説について、これまで書いた感想以上のものが、残り十五ページのうちに感じられるとは思えないが、読み進めることにする。『あるたたかいの記』を読み、次に『巣造り』を読み、そうすると、今度は長い小説を、つまり、『城』や、『審判』や、『失踪者(アメリカ)』を、読みたいと思えてきた。だが、いまのぼくは、同時進行で読んでいる本が四冊(『モロイ』『羊をめぐる冒険』『窓の外を見てください』『カラマーゾフの兄弟』)あるから、これ以上増やすわけにはいかない気もする。