四枚の写真

 四枚の写真

 一枚目、駐車場だろうか、赤い車の後部が右にわずかに見えていて、その反対、左には大きな荷物だろうか、画面上部の濃いピンク色の傘、その黒いふち以外は、ぼけて、淡く、おそらく雨に濡れているコンクリートの地面が、空の白さ、あるいは赤い車や大きな荷物、その向こうにあるだろう家々を映している、大きな荷物のようなものは、その上部の一点が薄黄色に丸く光っている、その反射も地面にある、この黒いふちのピンク色の傘は、撮影者の傘だろうか、傘の横幅は、その傘の半分以上を見せているにもかかわらず、傘をさしている人の姿が見えない、いったいこの写真の撮影者は、なにを映しているのだろうか、なにが見たいのだろう、なにを感じているのだろう、傘をさしながら街を歩いていて、ふとぼんやり辺りを見て、なにか追憶しているのかもしれない、過去のこと、あるいはこの先のこと、それらの漠然としたすべて、いやすべてというよりもおぼろげなぜんたい、わたしたちはこの目で、他の景色を見ることができる、景色はぼんやりとかすみ、おぼろげな記憶と混ざり合う。

 二枚目、画面は上と下で分かれている、下はぼやけていて、オレンジ色のなにかが中央で斜めに裂かれて、左側は黒い影になっている、画面上ははっきりと見える、赤い車体に黄色いふちの車の上部だ、つまりオレンジ色のなにかが、赤い車体の下部を隠している、車の窓は開いていて、運転席はわずかにしか見えない、後ろ座席の窓には、車の中の窓際にかけられた吊革を指でひっかけていて、そのオレンジ色に近い肌色の手があらわになっていて、手首は長く、白い袖と、その上に着た黒い服の袖が、窓枠の中にわずかに見えている、だが手以外の人の姿は見えない、そこにあるはずの頭はなく、窓からは反対の窓に見える、オレンジ色の家の壁が見えている、ぜんたいはオレンジ色を基調としていて、これは拡大された一場面で、撮影者であるソール・ライターは、対象にとても近づいている、一枚目の写真は、対象に近づかないことによって視線はぼやけ、視線の内側に近づいている、これはソール・ライターの秘密のひとつかもしれない、画面左上、車の後部窓は、薄く透明に、白く淡くひかりを透過させている。

 三枚目、街の通りの店の前だろうか、背景は金色の文字の、おそらく店の名前だろう、それとともに、鈍い金色と薄汚れたような黒の絵、――右下は葉をざわつかせた木が、その左には女性らしき人が座っている、画面左はガラスでできていて、店のなかには、やはり金色の鉄でできたような花が咲いていて、影は黒というより淀んだ緑色で、その画面の中央には三分の一以上を占める紫色の大きな帽子をした、鼻が高く整った顔の女性が、橙色の服の襟と、長い首を帽子に斜めに隠されながら写っている、この女性に近づくことでこの女性はぼやけ、代わりに背景に近づくことになる、近づくことによって見えなくなるものと、近づくことによってよく見えるもの、それらが倒錯しているように思える。

 四枚目、雪の街をひとりの男が、黒い帽子とジャケットを身につけ、薄い色の荷物を右手に持ち、右へと歩いている、画面の三分の二を占める地面は真っ白で、その向こうの道路も、幾分灰色と混ざっているがやはり白く、道路の向こうには黒いかたちの人がふたり、信号を待っているようだ、男は白色の中へ消えてしまうように膝の下は白い、これはもしかすると、くもったガラス窓に映った男を映したものかもしれない、男の膝の下は、手に持つ荷物とともに白くなっているが、何本か縦に男のズボンの色であろう黒色の線が走っていて、その線はくもったガラスに滴る水滴が見せた線かもしれない、直接男を写したらこのようには撮れないだろう、画面全体がぼやけているのもそのせいかもしれない、対象を捉えるために、対象の反射を写すこと、その独自の近づき方、それもソール・ライターらしいと言える。